言葉と芸術・メンバー紹介と直感的な視覚事項から解き放たれるということについて

Art Base Projectのメンバーで集まっていると、自分たちが日々話し合ったり行ったりしていることを、きちんと文面として残し記録していこう、それを記事として投稿していこう、というアイディアが賢のほうから飛び出してきて、今日から週に一本ずつをノルマとして、投稿していくことになりました。

Art Base Projectの山内勇史です。

これからどうぞよろしくお願いします:)

 

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もし1週間ごとに記事の上がっていないことがあれば、それは私が投稿を怠り、ノルマをただの数値としてしか見ていないことを意味していますので、そんな私を監視する意味で毎週チェックしていただければと思います😊

もちろん!!! 他のメンバーも毎週の投稿を目標としていますので、応援のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

【文章と芸術】

さて。

文章を書こうと思う。と、それと同時に、文章を書くという行為と、そこに向かおうとする自分について、否が応でも考えさせられます。そういうたちなのです。

そこで傍論とはなりますが、文章を書くということについて、私が「否が応に」感じてしまった内容を綴ることは間違いではないでしょう。まずはそこから筆を取ってみようと思います。 

それでは、いきます!💪

  

文章というのは一個の芸術作品とはみなされ難い。

ことに、小説のようなストーリー性を孕んだ文章やリズムをもつ詩ならまだしも、論文やこういった類いの文章などというものは、たとえ素晴らしい出来栄えにはなっても、賞賛の形容詞として「芸術だ」とは使われないのが一般です。

絵や彫刻で有名な芸術といえば、誰でも一つは挙げられる。

でも、それは知識で挙げるのであって、芸術かどうかの精査を自らの感性で行ってするのではありません。

一方、文章の芸術といえば、そもそも知られていないし、読まれてもいない。芸術という認識で親しまれていない。芸術というと、絵画か彫刻か、あるいはコンセプチャルな作品か音楽か。しかし文章はといえば…。

それに、絵のように「目で愛でて知る」ということが文章ではできない。内容に踏み入るまでは未知数だ、とこうなるわけです。 

その意味で、私は、文章としての芸術をどう考えるかを尋ねることで、その人のもつ芸術観を垣間見ることに一種の喜びを感じたりもしています。それが知識では語れない芸術観であるがゆえに。

  

文章というよりはむしろ言葉そのものについて、それが人間に扱われる場合のいくつかの例において、それは立派に芸術たり得ると私は考えてきました。

知識ではなく体感として、私がはじめて芸術を知ったのは言葉の芸術によってでした。それは、それこそ美術館とかギャラリーとか、そういう特定の場所を離れて、世界中いたるところで、ある時は論文、ある時は手紙、ある時は実業家のセレモニーで、ある時は力ある政治家によって、ある時は子どものちょっとした遊びの中で、またある時は隣人間での語らいの中で、実に心地よく呼吸をしながら生きていて、私の外の方にも中の方にも溢れていました。

「言葉の芸術とは何か」とは、敢えて説明することはしないつもりです。むしろ、そういうものがあり得るのだと、存在し得るのだという認識、それが漠然としていてもいい、その認識のもと、アートの界隈とは離れたところから実際にその実をその肌で感じることこそが、もっとも大きな説明になると思うからです。

いずれにしても、強い信念に則って私は言いたいと思います。

 

「言葉こそ、人類普遍に、全ての人々を芸術家たらしめる可能性をもつ、我々人類に秘蔵のツールなはずだ」  

 

と。  

それは、言葉が全ての人間に共通に与えられたツールであるからです。誰でもみな、言葉なら、ある程度に操ることができる。言葉なら、ある程度に絵を書けるという割合よりはヨリ高いレベルで、思い通りに操ることができるはず。

もし言葉を駆使した芸術が社会に浸透して、ヨリ高い芸術としての認知度を得ることができれば、みなが自らの綴る、あるいは語る言葉によって芸術家であり得る方途は大きく開かれることになるだろうと思うのです。

そうすれば人類みな芸術家です。人と人のコミュニケーションはみな、芸術になるのです。それは実に素晴らしいと私には思われます。芸術という在り方は、人の心に訴えかけ、語りかけ、お互いに自分という人間を暴き合う。相手を知る努力より、自分を知ってもらう努力を選択する人間が増えれば、その分結果としては、相手を知るということは促され、みなが知り合い、平和も調和もそこから湧き出でてくる。

もちろん、言葉以外の芸術においてそうであることはわざわざ言及すまい。

 

そんな社会を実現することはArt Base Projectの確固たる理念です。もし確認していただけるのなら、ホームページの理念をご参照いただければと思います。ここではそこに委ねておきますね:)

 

とにかく、言葉・文章、こういったものが芸術であり得るということは、

「言葉は無目的・無理解の中でこそ書き綴られるべきだ」

という信念を私に与えました。まるで感情やアイディアの爆発のように、言葉が空に・紙に飛んでいって台詞や文を形成する。そこに至ってはじめてその言葉たちは、人に対しても、また自分に対しても猛烈な影響力を持ってくると私は信じています。

 

そこで、このArt Bace ProjectのBlogを書くにあたっても、私はその信念を貫いて、己の全生命をぶっつける想いで、今現在も画面に向かい、これからも向かっていこうと決心しているのです。Art Base Projectが芸術を活動の基調において、芸術によって世界と文明に改革をもたらそうとするチームであるからこそ、このBlogにおいても私個人は手を抜いてはいけないのだろうと思っています。

  

私のその姿勢が結果として、人々に親しみにくいBlogを提供すること悪ししからず!

この情報過多の時代において、あるいはこの時間過不足の時代において、情報として整理された読み下しやすい言葉・文章を親しみ、愛している人々にとって、私のBlogは意図の掴みにくい読みにくいものに思われるかもしれない。 

しかし、案ずることなかれ:(   

閲読を拒否する権利は我々に与えられている。あるいは、たとえマイノリティになってはいても、含蓄の多い、滔々と流れるような力強い言葉の羅列を愛する人々の存在も、未だにまだ、あり得続けているとも信じたい。

  

これから長年月に渡りここで語られる投稿の多くは、Art Base Projectに関わりのある事柄か、あるいは芸術論の類いになることと思うので、どの投稿も、もちろん私以外のチームメイトの投稿も含めて、それらはどの方にとってみても、その方がArt Base Projectに興味を持って頂いた方なのであれば、内容は豊富なものであると信じます。

 

もし、特に「情報の整理」という観点を重視するのであれば、石上 賢の投稿がそのニーズに適確に応えるものであると信じます。彼の投稿が多くの方々の心を掴むものと信じ、ここでの私は、私の思う在り方としての言葉の信条を貫かせてもらいます。

賢、いいかな?:)

 

それでは改めて、Art Base Project 山内勇史の初Blogの更新をはじめます!

 

 

【Art Base Project メンバーの繋がり】 

この記事を執筆している今日2017年10月25日現在、私は名古屋の彼の地にいて、Art Base Project メンバーである石上 賢と洋(ひろし)くん、この二人と、とあるプロジェクトの進行について議論をしていました。

 

もともと賢と私が出会ったところに私と洋くんの出会いが連なった形で三人の関係性は生まれたので、賢の兄貴である洋くんとは、こうしてArt Base Projectとして仕事を請け負うようになって、はじめて出会い、知り合ったわけでした。

では賢と私との出会いはどうだったのかというと、これもまた面白い始まり方だった気がします。

大学最終学年時、日課となっていた大学敷地内の散歩中に、ほとんど運命的に私たちは出会いました。「運命的」というのは、それが私が感じた偽らざる想いであるからです。あれについては当時も今現在もまた、本当に運命のいたずらだったのではないかと思い続けています。

その日、今から約二年半前、私たち二人は、とにかく目と目を合わせ、互いのこうべを垂れて、腕をかかげ手のひらを見せ合うことになりました。はじめてあったあの時、例のごとく私は無目的に校舎内を歩き回りながらそよそよと考えに思いを巡らしていて、賢は確か、芸術家である父 石上誠の案件で何かを執筆していたところだったんだと記憶しています。その休憩で席を立った賢と、歩いていた私がばったりと出会ったところに、先のあいさつが生じたわけです。

 あいさつといっても、特になにか理由があったわけでもなく、ただなんとなく気が向いて、ごく自然とあいさつを交わした感じでした。何がそうさせたのか、二人が気軽にあいさつしあって知り合ったところに、私は運命的なものを感じているのです。あまり強調しても気味が悪いかな:)と思うのでこの辺で収めますが、しかし描かないだけでそこにはいろいろ思うところがあったわけです。

それから二人は流れるままに席に着いて、そこに芸術についての対話がはじまったのでした。

  

あの時以来、二人の芸術に関する関係というのがはじまって、この関係は今まで一貫してずーっと維持され続けてきている。それが私と賢の関係性です。

 

議論は、時と機会に応じて、あらゆる分野に縦横無尽に飛び交って、芸術とは直接関係のない事柄に及ぶことの方が多い(これは今回後述するところが示す通りである)のは、やはり友人同士の間柄だからでしょうか。当然、意見が食い違うこともあれば、一致することもあって、これまで個々人が蓄積してきたあらゆる意見が、二人の間では自由を与えられた小鳥のように健気に飛び交って、混じり合ったり、叩きあったりしながら、アウフヘーベン(昇華)を起こしたり。そんな具合に、相手の存在を通じて自らの意見を垣間見る、そんな関係がずっと続いています。

少し変わったなと思うのは、その議論の内容にビジネスライクな分野が混じり合ってきたという点。でもそれは変わったというよりもむしろ「加わった」なのでしょうね😊

  

これまでも、共にニューヨークに行き、共にイタリアに行き、共に中国へ行って、その過程も随分といろんな方面について話し合ってきましたが、そうやって一緒に海外に行ってはいるものの、今日にいたるまでに一度として「遊びにいこう」という流れになったことがありません。ましてや遊んだことなどもないくらいで、息抜きにお酒を飲むことがあっても、話は結局、議論的な方向に結びついてしまうといった具合です。そんな感じでもうかれこれ二年半くらいの時流を与えられてきました。

人に言って驚かれてはじめて、確かにそういう感じにならなかったなーとお互いを見つめて笑った、というのがこの話のオチになります。そして今、話はオチました!

  

ほとんど宿命的に話相手の域を出ない関係が続いているので、今ではそこに、下手なプライドや誇りみたいなものを感じるまでになってきていて、そういう関係が保ち続けていられる自分たち二人の関係性の不思議を心底幸せなものとして捉えています。それは私だけかもしれませんが。例にならってそういう意思の確認作業はしていません。それでも私は彼に退屈したことがないのだから、それはとても幸せなことだ、そういう友情があってもいいじゃないか、と思っています。

  

 

【美意識・価値観は恣意的なコントロールに服するか】

さて、本題に移ります😊

そういう関係性の手前もあって、今日もまた、夕方の休憩中に、話のすそが議論に及びました。人間の有する美意識についてです。それが、とても深い話し合いになったので、今日はそれについて書き残してみようと思っていました(あっ、無目的であるはずの文章に目的を持ってしまった!)。

 

「人間の美意識・価値観というものは、他の個人・集団の持つそれによって塗り替えられることがあるのだろうか」

 

というのが今回の話の確信部分でした。それはつまり、この社会において、白人を中心とする西洋文化が他のどの文化にも増して強力な影響力を持っているという現状は、いったいどんな原因が引き起こしたと捉えるか、という議論でした。

たとえば、今日の経済システムにしろ、社会システムにしろ、それらは西洋が持ち込んできた基盤をベースとしたものであって、私たち東洋の文化は、それぞれどこかのタイミングで、それらに飲み込まれてしまったきらいがある、というのはよく言われるところです。

今回迫った問題は、そうした現状の下、私たちが白人の人々を自分たちよりも優れていると感じてしまうのはいったい何故なのか、という点でした。

これはとてもナーバスな要素も含む論議になりますので、議論には細心の注意と尊重の念が必要でした。

 

 具体的には、私たち東洋人のうちの多くは、西洋人の男性や女性を美しいと感じてしまいがちで、(この感触をいったいどう形容すべきかは難しいのですが)美しい男性や女性の像として西洋人をモデルに思い浮かべてしまっていたり、あるいは自分たちより優位した何ものかを白人の人々に対して感じてしまう日本人・東洋人というのが決して少なくないということ。

そうした感覚を美意識と総称するならば、西洋が東洋より高い美的地点にいるということであったり、西洋に対してヨリ高い美意識を我々が感じてしまうといったことの原因はいったいどこにあるのだろうか、というのが今回の論議なのです。

そこにはまた、黒人の人々が、同じ人間であるにも関わらず、長い間、奴隷として虐げられてきたという私たちの歴史が刻んできた極限的な汚点のひとつについて、なぜそんなことが起こってしまったのかを解明するという意味合いも、含蓄としては帯びてくると思います。

黒人の人々が虐げられてきた原因、あるいは白人に対して未だに感じている劣等感というものは、いったいどこからくるものなのか。様々な観点からこれまでも語られてきたこの問題に、またひとつ別の角度を踏まえて考察する姿勢を持てるかもしれない、と。

 また、国際化が進み、その主たる舞台として未だに西洋列国が強力な支配力をもっている現代において、考え方によっては、この論議の指し示す見解が、それぞれの国が互いの国家と文化を守りながら国際友好を結ぶことを可能にする道を明らかにするかもしれないし、あるいは国際化に文化・美意識の偏りや破壊を引き起こす危険性を認めることになるかもしれない。

 

このようにいろいろな思いもあって、こういう話し合いにいたっているという前提を是非ともに踏まえさせていただいた上で、早速、内容に入っていきたいと思います。

 

 

【日本で起きた美意識の大転換を引き合いに考えてみる-明治維新

私たちがプロジェクトとして、あるいは各個人毎にこれまでたくさんの国に行き異文化交流をしてきて、結論としてもっている日本文化に対する他文化圏からの関心は、非常に高かったように思います。

 西洋の人々からも、日本の明治維新前にあった幕府政権時代の数々の独自の文化は親しまれていて、ほとんど愛するに近いまでの関心をもたれている方も多かった。

しかし、高い関心の裏腹で、私たち日本人の生活様式は、かつてとはガラリと変わっています。西洋文化圏の人たちがどれだけ高い関心を持って私たちの旧来の文化を物語ってみても、それは既に現代日本人にとって実感のないものになってしまっています。

この原因である日本文化の大転換を起こした運動を「明治維新」といいますが、論としては、明治維新に伴って文化の入れ替えが行われたと同時に、日本人の価値観・美意識もまた、西洋優位の美意識へと入れ替わってしまったのではないか。もしそうだとすると、ではいったい何が明治維新を起こしたのだ、ということになる。それがわかりさえすれば、一応日本における美意識改革の原因は突き止められる気がいたします。

 

明治維新を先導したのが西洋列国だとすると、それはつまり、日本人の美意識が西洋の恣意的な政策活動の支配にあって転換された、イコールそれは「人間の美意識は恣意的なコントロールに服するのだ」とそういう結論に至ります。そこで、明治維新が何故に起こされたのかについて考えていくことになるのです。

  

   

明治維新を引き起こしたのは-】

明治維新については主に二つの外因があると考えられます。

 

一つはペリーの黒船来航です。

ペリーは鉄製の丈夫な船体に沢山の大砲を積んで、日本に外国との通商を再開することを迫ってきました。この開国へのペリーのアプローチは、アメリカの政策的な戦略のもとで行われたものです。そうすると、それは確かにアメリカの恣意的な政策活動であったことになります。 

もちろん、ペリーの来航は、明治維新と深い因果関係を有しています。では、それが「先導」といえるほどに大きかったのかどうか。

  

ペリーの戦艦を見て、西洋のテクノロジーに魅せられ、日本の文化的大革命を志向した日本人、明治維新の立役者である坂本龍馬を筆頭とする数々の倒幕論者たち。

司馬遼太郎の小説・竜馬がゆくを読んでしまっている私の中の彼らの情報というのは、きっと司馬遼太郎からのバイアスを存分に受けてしまっていると自覚はしています。しかしその一方で、司馬遼太郎が小説内で描いた坂本龍馬たちの西洋文明に対する確かな興奮と歓喜、それに連なる明治維新という革命に対する情々とした熱気には、確かな信憑性があると思います。

 

 考えてもみると、これまで見たこともない風貌をした自分たちと同じ姿見をした生き物が、鉄の塊を海に浮かべて、威厳をもって、大砲を向けながら開国を迫ってくるのです。

その迫力たるや、相当のものであったのだろうと思います。

かつての日本の英雄であった数々の倒幕論者、日本が誇る漢たちも例外なく、それらの圧倒的な文明の前にいなないたことでしょう。自分たちと同じ人間の形相を持っている存在が、明らかに自国を凌駕した文明をもって迫ってくるのです。その時、幕府の要職に就いていなかった者たちこそ、倒幕論者の若者であって、彼らにしてみたら、ペリー一行は憧れの的になったわけです。

私が思うに、彼らの目には、自分たちもいずれはああなってみせる、といった目標の形で西洋一団は映ったことと思います。

(ちなみに私は司馬遼太郎の小説は個人的にはあまり好きではありませんでした。あまりに坂本龍馬を天才に仕立て上げ過ぎていて、そこに「生まれもった人間の器が違う」みたいな論理の展開があって、ロマンスに欠けていたし、何より事実は絶対にそうではないのだから、そんな見方で坂本龍馬を捉えた司馬遼太郎が憎らしくも感じました。「天才がそこにいた」という書き方をして、その他大勢を「凡人」と仮定し、両者の間に一本の太くまっすぐな境界線を引く。このような人生観が、私には好きになれませんでした。しかし、明治維新という日本的な台革命運動を指揮した当時の若人の感性の趣きや美徳観、生き様などはとても素晴らしい描かれ方をしていて大変に大きな感銘を受けました。日本史の教材としてあれだけのものもまた稀有だなと思っています)

坂本龍馬西郷隆盛勝海舟桂小五郎など、かつて彼らが覚えた感情の起伏を思うと、私はそこにこそ、現代のこうした西洋優位の価値観の所縁を見る気がします。

 

少し切り口を変えてみます。冒頭にも書いたように、ここで考えるべきは

「はたして、人間の美意識・価値観というものは、他の個人・集団の持つそれによって塗り替えられることがあるのだろうか」

ということです。明治維新という眼鏡をもって鑑みると、それは

 

「西洋の美意識がこれほどに日本を圧巻したのは、西洋という国のとった政策による成果なのか」

  

ということになる。どちらにしても、考えるべきは、人間の美意識・価値観という極めて精神的・感覚的な事由が、政策という極めて戦略的・理性的な事由に屈することはあるのか、ということになると思います。

そして私は、「いいや、屈することはない」と答えたい。

 

 

【人間の美意識の有する強靭性】

確かに、かつてのフィリピンや今日の北朝鮮に巻き起こっているように、他の国や自国の帝国主義のもつ激しい政策態度によって、国内の人間が強い洗脳にさらされるということはあり得ます。本当に悲しいことです。

第二次大戦下の日本もまた、政府の敷いた天皇陛下万歳の国家神道の信仰観が国土全域を圧巻しました。この時日本に起こっていたのは紛れもなく、美意識・価値観の日本政府先導による洗脳的変換だったことは疑いようがありません。

すると、人間の美意識も政策的な支配に屈するということになるではないか…。

 

でも、私はそうでないと思います。 

フィリピンや北朝鮮、かつての日本を別の評価で考えることもできるからです。 

北朝鮮や軍事国家としての日本、それに国土全域を各国からの植民地として荒らされ続けたフィリピン、これらの国で起こったことは、ほぼ全ての生活領域において全面的な支配を受けた例です。(感性と理性の抑圧。それは本当に悲しいことで、決してあってはならないことです

そうすると、美意識的な選択肢が他にないという状況下で選択を行うということは、もはや概念的にもあり得ないわけで、このような極端な支配を論の筋道に堂々と置いていては正しい見解は生まれ得ないと思うのです。

 

ヨリ適切な問題意識としては、たとえば明治維新前の日本のように、日本独自の文化が生活に根ざして残っている状況で、そこに西洋の美意識が流れてきたとして、それを西洋が政策として目論んでいた場合に、その政策によって日本人の美意識が当人の意思決定を自由を挟まずに、西洋の美意識を選択させることがあるか、ということだと思います。

そして、それはあり得ない、と私は思うのです。例えどんなに教育を受けていない人間であっても、ひとりの人間の価値観・美意識をコントロールすることは、彼が自我を有している限りにおいてあり得ない。 

明治維新下の坂本龍馬がペリーの戦艦を見て明治維新を志向した時、坂本龍馬に起こっていたのは、感情的な意思決定だったはずです。それはつまり、

  

「西洋文明は日本の文明より優れている」

 

という直感的な感覚だったのだと思う。ゆえにこの論議は、この「直感」という存在を置いて進められない。確かに西洋文明は直感的には、日本の文明より優れているように映ったはずだからです。そしてこの直感的な感覚こそ、明治維新を創出した第二の外因ではないかと私はにらんだのです。

同じ「舟」という乗り物を思考し用いていた者同士であっても、扱っている実際のモノの規模がまったく違う。片方は木でできた小舟であり、片方は鉄の塊でできた戦艦です。しかも蒸気機関船なのです。それを生み出し、乗りこなす異国の人間

これはもう直感的には、圧倒的な差を感じてしまうのは当然です。

  

このような直感的感覚を論じたところで、ようやく「文明」ではなく「人種」の問題に論を進めたいと思います。

   

 

【人間の美意識・価値観は外的要因によって塗り替えられるか】

「白人を優位に捉えてしまうのは何故か」

それは、白人や西洋人が日本人に対し直感的な優位性を有していたからではないか。

肢体が長くすらっとして優雅に見え、髪の毛を代表する各所の体毛が豊富なカラーバリエーションと毛質を有していて、顔面の左右を分ける境界線として鼻筋が立派に機能しながら、たとえばブルーであったりグリーンであったりする美しい瞳が煌めいているのです。それでいて、体躯も我々東洋人より一回り、二回りくらいは大きい。

大きさも含め、これらの白人の骨格や色彩の特徴は、確かに優雅な印象をもっています。それが優れているというわけではありません。しかし、彼らの特徴は日本人の特徴よりも直感に訴えかけてくる要素に満ち溢れています。それはきっと、色・形が本来的に有している性質というものが確かにあるということを我々に打ち出してきます。ギリシアの時代から探求されてきたことです。そして、そういう直感的・視覚的な影響力に対し、心の思考=感性が否応なく屈服してしまった時、いい悪いではなく、あくまで直感的に「好き嫌い=美意識が転換」するのです。

  

日本人がはじめて白人を見たときに「赤鬼」と蔑み、敬うよりむしろ気味悪がって恐れていたと言われています。しかし、自分たちと似た骨格と頭脳をもった生き物をはじめて見てびっくりするのは当然です。ましてやそれが多くの点で自分たちとは違う色合いと形に溢れていたわけです。まさにそれは、長年親しんできた逸話の中の鬼の形像に当てはまったわけです。しかし、西洋人の存在に慣れてくるに従って、今度はその風采の持つ優雅さが、やはり自然と五感に届いてくるようにもなってくる。

 

色や形が原始的に持っている力というものは、「文明」「人種」の問題を通してみても置き去りにして話すことはできません。

そもそも人間の容姿というものは、西洋人にしろ、東洋人にしろ、白人黒人にしろ、進化の過程で土着の環境あるいは先祖の姿見に従って形成されたものであって、決して美しさを基準として進化してできたものではありません。その偶発的な進化の過程において生まれた結果が、他の人種よりも目立つ容姿の人種を生み出したということもまた偶発的事由に過ぎない。それをもってして優劣を測るというのは、あまりに非文明的すぎる。人間の動物性=直感的感覚にあまりに傾倒しすぎていると私は思います。

 

ちなみに私個人は、白人を綺麗だと感じても、黒人もまた綺麗だと感じますし、日本人もそうであって、人種の間に優劣みたいなことをあまり感じたことはありません。しかしそれでもやはり、ブロンドの髪を見たときに、その輝きには目を奪われたことがあります。ブルーアイズやグリーンアイズの瞳を見たときも、やっぱり綺麗だなと感じました。

でもそれは至極当然のことだと思います。池を泳ぐコイの中でも、金色のコイや赤色の混じったニシキゴイがやはり目立って感性に飛び込んできます。いわば、そういう目立つ風采の人がいて、あるいはその人たちがそういう風采と調和する文化文明を作ったわけで、その文化もまた煌びやかなものが多くなって、視覚・直感的には彼らの優雅な姿の延長に置かれるわけです。

やはりそれは色彩として、あるいは形として、我々の文化のものより派手で目に付きやすいものなのでしょう。

  

そういう西洋人や文明に触れて、私たち〈侵略された側〉と言われる者たちも、やはりその派手さに目を奪われ、次第に美意識まで明け渡していったのだと思います。

そうだとすると、たとえ西洋による政策的な戦略が行われないようになったとしても、私たちの側が単なる派手さに心奪われる自らの心を改めなければ、結局我々の劣等感というものは無くし得ないことになる。決して政策云々という問題ではないのだと思うのです。

確かに西洋諸国におごりの精神があったことは確かだと思う。奴隷制が例に示す通りです。しかし、私たち東洋も日本人もまた、彼らと同様、直感的事由に美意識の席を明け渡した者としては、彼らの隣に腰を据えているのではないか、と私には思われるのです。決して学者の頭の中だけでロジカルに考えて結論したことだけをもって戒められるような、底の浅い問題ではないのです。

  

 

【視覚的感情的な直感から解き放たれること】

私たちは自分たちの美意識が色や形の優雅さから単純な影響を受けるということを忘れてはならないのだと思います。だからといって人として優れているわけでは決してないからです。

あるいは文化文明についてだって同じことが言えます。これらの優劣、良し悪しを図ることは決して簡単なことではありません。決して直感に任せていい問題でもありません。それを忘れて、社会が直感的で視覚的な事柄のもつパワーばかりに目を向けていった先には、やはり過去に引き起こしたのと同様の誤ちを未来においても引き起こすことになるのです。

私たちは、色彩や形状のもつ美しさということを軸にした芸術からは離れて、ヨリ進化した芸術として、内心内面や精神を題材とした芸術を推奨することによって、人間が内包するこうした愚かさから人びとを解放していく必要があると思います。芸術が担えるひとつの社会的価値は、そうした面にこそあるはずです。芸術こそが、芸術だけが変革していける。そうした任を司るものすべてに、私は芸術の呼称を授けたい。そういう世界を新しく建築していかなくてはならないのです。芸術を決して見誤ってはならない。

人類全徒が見た目から受ける単純な影響に負けず美意識の形成を図る心を身につけることができたらば、決して愚かな言動は生まれないはずです。そういう人間性が、偉人だけでなく、すべての人びとに還元されていく。優劣ではなく、特性を見る力が。

このような観点から奴隷の問題などについても考えることが重要なのではないか、と思います。

 

  

この終盤の箇所こそ、最も大切なところになるのですが、この度は一旦幕引きとします。

ありがとうございました😊

Art Base Projectとは何か?

ART BASE PROJECTとは何か?

 ART BASE PROJECTの設立についての詳細をブログにて発信しようと考えこの度、当団体のリーダーである石上賢が初めの投稿を行います。初めは少し堅い文章になっていますが、これからアートや思想・哲学、近況についてなど様々投稿していきたいと思っています。よろしくお願いします!

 

 ART BASE PROJECTとは、新しい文明・文化を創るために2016年に結成されたクリエーター集団であり、新しい文化を生み出し、世界中に発信する基地になりたいという思いを込め、Art Base Projectと名付けました。

 

 なぜ、新しい文明・文化を創りたいと考えるに至ったのかを現代文明の欠陥と代表である石上賢の個人的動機の2つの側面から説明します。

 

現代文明の欠陥

 現代の文明は本質的に1つの大きな欠陥を有していると私たちは考えています。それは、全ての文化がそれぞれの分野に分けられ全体を失い、人間が分断されてしまっていることを意味します。

 この分断の歴史は人間の理性の働きに重きを置きすぎたことから端を発したと捉えております。17世紀のフランスの哲学者であるデカルトから始まる演繹的な思考法が、複雑な世界を認識するために全体を個別に理解可能なレベルまで分解させていくことを推し進め、科学技術が発展し今日の文明を創りだしました。しかしながら、理性の発達によって設立した現代文明は人々を結合させ、幸福をもたらしたと言えるでしょうか。私はその質問に懐疑的な一人です。

 さらには、今日AIの発展により人間を人間とたらしめてきた大きな特質である理性が最新の科学技術によって、産業革命により機械が肉体を代替したように、AIが論理を代替しようとしています。

そのような時代に、人間のもう一つの特質である感性の働きにこそ光を当てるべきであると私は信じています。

 感性とは、人間の5感の働きによって自己と他者、自己と世界は一体であることを感じ取る感受性のことを指しています。このような感性の働きにより、現代文明の欠陥である分断を統合・調和に変えられる大きな要素ではないか。そして、この感性が顕著に表れているものこそ、美術や工芸を包含した意味でのアートであると考えています。

 

石上賢の個人的動機

感性を最も感じられるアートは幼少の頃から父が画家ということもあり親しんできました。一方、アートで生活をする過酷さを父の側で見続けきました。そこで、どのようにしたら父の生活が楽になるだろうかと大学時代から考え、国内の展示会だけでなく、イタリアやニューヨークに全く人脈がない中で、ギャラリーを発掘し、個展開催に携わってきました。これまでの経験から、このような苦しい状況は父以外の大半の芸術家や工芸家にも当てはまると感じています。しかし、現代のアーティストの創作活動がままならない状況では、世界に結合と調和をもたらすことはできないと、いてもたってもいられず、アーティストの経済基盤を確立するインフラを創る必要があると考え、ART BASE PROJECTを立ち上げるに至りました。

 このような私の個人的な経験と現代文明の欠陥からアーティストの経済基盤の確立を促す実験を開始する必要があると考えるため、最初のスタートとして、2段階の実験を試みたいと考えています。

 

 第一に、個別のアーティストのプロモーションと展示会を行い、アーティストの創造する作品を感性的価値に着目し世に発信し続けていく。

 第二に、日本をはじめ世界のアーティストの作品、その作品にかける思いやストーリーを総覧できるプラットフォームをつくる。

 現在は第一のプロモーションを中心に従事していますが、2017年1月より本格的に第二のプラットフォームの実現を開始していく予定です。 

 

 

長くなりましたが、最後まで文章をお読み頂きありがとうございます!

これからはこのブログにて私以外のメンバーも投稿していきます。

末長くよろしくお願いします。

 

2017年10月 石上 賢