陰翳礼讃

コンビニやドラッグストアの強い白い光あまりが好きじゃない。その光に照らされると、何もかも明らかにされているような気がする。なんであんなに実験室のような光なんだろう。
 
モデルさんの撮影をしてる時に思うのは、西洋人の深い彫りの顔立ちには強い光がバッチリと決まるのだけど、日本人の顔立ちにはあまり合わない。のっぺりとした感じに写ってしまう。むしろ、暗い、コントラストの浅い環境で撮ると日本人、東洋人の顔立ちはなんとも言えないよさが醸し出される。
 
現代の日本の衣食住は、あまり日本人のよさを引き出せることができていない気がする。例えばファッションも洋服より、和服のようなどこからが上半身で、どこからが下半身かわからないような境界線が曖昧なものの方が、日本人の体型には美しく見える。
 
昔から日本の芸術で表現されてきた形式は、表面的なものが多い。浮世絵なんか、遠近感なんてないし、雨つぶも、人も、建物も画面の中では同質的だ。逆に西洋の美術は、遠近法と光の効果を強く意識している。カラバッジョレンブラントは光・照明を巧みに使って劇的な印象を絵に与えている。表現の段階でそれぞれが引き立つ形式をその環境から編み出していったのだと思う。日本も江戸時代までは、独自の美学で生活を彩っていた。
 
コンビニの中に入ると多くのパンが並んでいる。それらはあまり質の良いとは言えない小麦を使って作られている。大昔、小麦は中央アジアでとれて、狩猟採集から農耕時代に入って、急速に世界に広がっていた。生産地帯を増やし、品種改良は重ねられ、遺伝子も組み換えられた。グルテンフリーという言葉にあるように現在の小麦はアレルギーのある人の体に良くない。僕は幼い頃からアトピー性皮膚炎だったのだが、小麦の食品を取るのをやめてから、著しく良くなった。今、街を歩けば、ラーメン屋、うどん屋、パン屋さん、至る所に小麦を使った食べ物に溢れている。小麦でなくても、コンビニ食や質の悪い外食を続けていけば、いつか体を壊すことになるのだと思う。結局のところ、昔から食べられてきた日本食が一番体に良かったりする。
 
明治、戦後の時代に、衣食住はもちろん、思想、政治、法律、経済、教育、芸術、ありとあらゆるものを西洋から輸入した。せざるおえなかったのかもしれない。小学校の時から教えられてきた民主主義の考え方も、フランスのように、民衆が革命を起こして打ち立てたわけでもない。とにかく、他の国から取りよせて、寄せ集めてきた。かつてはそれでもよかったのかもしれない。だけど、今、この時代にはその器は息苦しくなってきたように思う。テクノロジーの発達によって、多くのことが目まぐるしく変化している今、合気道的にその流れを利用して、これまでの社会のあり方を考え直して、かつて浸透していた日本、東洋の精神性、生活を再解釈して社会に組み込むことで、面白い変化が起こる良い時期だと思う。
 
去年の年末から、今年の2月にかけて、石川県の輪島で漆芸家の若宮隆志さんの撮影をした。若宮さんの作品作りは、古来から語られてきた日本の精神性を、現代的な漆の作品に落とし込んで制作されている。若宮さん自身の語り、作品の発する語りはとても印象的だった。それは僕がこれまで生きてきた、この土地の良さを「ほら、ここにあるよ」と示しているように思えた。
 
日本の昔の精神性は「素晴らしいよー」と語るだけでは伝わらなくて、きちんと解釈して、作品、発明、物語として現代的に表現されることで、はじめて、人のこころの内に染みていくのだと思う。科学の分野でも、教育でも、ファッションでも、食文化でも、芸術でも、東洋、日本のもっている考え方のよいところを、咀嚼し、理解して、魅力的に語られていけば、それを見たり、着たり、食べたりした人は、まさに自分自身とルーツを発見するんじゃないのかなあ。僕自身もこれから、いかに伝えていくことができるか考え、実験をしたいと思う。
 
 

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