陰翳礼讃
物語は語られる
本を読む、映画を見る、話を聞く。ある物語が語られる。語られた物語は自分の中の、どんなところにとどまって、何を語りかけるのだろうか。
2回目の投稿です。物語について書いてみました。
お化け
夜に、ふらっと神社へ行ったことがある。あたりに人はいなくて、静かで、風が吹いていて、木々の葉が擦れあう音だけがする。月が雲に隠れて少しだけ出ている。そこに立ち止まっていると、神社の中は他の場所と違って、言葉にできない何か、強い印象を生み出している気がした。後ろを振り返ってみると、井戸から髪の長い白装束の女性が這うようにして出てきた。
実際のところ、井戸から女性は出てこなかったけど、そんな視覚的なイメージが頭をよぎった。
ある場所、ある瞬間に、言い得ぬなにかを感じる、そういう時、お化け、物の怪、妖怪、鬼、精霊、天使、悪魔、神、天国、地獄、そういう想像力をもって、その言い得ぬ何かを言い表そうとする。頭の中には、ありとあらゆる物語が埋もれている海があって、現実の言い得なさに直面すると、その海から埋もれていた物語のイメージが湧き上がってくる。
僕が神社で感じた感覚は、井戸の中から出てくる髪の長い女性のイメージと結びついた。それは映画の『リング』の影響(トラウマになった)が大きいけれど、そのイメージの原型には、昔の日本の怪談の世界観がかなり現れているように思う。そのとき、現実のお化けは、貞子は、出てこなかったのだけど、そういう存在があらわれたと言いたくなるくらいに、奇妙な臨場感が感じられた。
リアリティ
知り合いに霊の存在を信じている人がいる。その人の祖父が亡くなったとき、寝ているときに、突然、家族の集合写真の入った写真立てが倒れたそうだ。彼は、その出来事を祖父の霊が家にやってきて自分に会いにきてくれたからだ、と話した。
昔の人は、誰か人がいなくなってしまった時、神隠しにあったと言った。いなくなった人の不在感、やるせなさ、なんで、という気持ちに対して、神が連れ去ったということで、一つの理由を与えようとしたように思う。霊や神が出てくることで、言葉にするとこぼれてしまうものも、ひろってくれるのかもしれない。
かつての日本の世界は、自分と他者、世界の境界は、きっと今よりはっきりとしていなくて、そのゆるい境界に、霊や妖怪がたくさん住んでいたと思う。陰陽師やイタコのような人たちは、それを利用して、共同体の悩める問題に対して、神、あるいは霊を自分にとり込んで、媒体となって、答えを提示した。彼らは今のカウンセラーのような役割を担っていて、悩める人たちに、良薬になり得そうな物語を処方したのではないのかなと思う。
日本の昔の古典にはお化けというか、人の強い感情が肉体の物質的な限界を超えて、精神的な存在として出てくる逸話がある。平安時代に書かれた源氏物語には、源氏の恋人の六条御息所が嫉妬に狂い、生き霊となる描写がある。生き霊となる六条御息所は自分が生き霊になっていることが自分ではわからない。結局、その生き霊は寝ている間に、彼女の恋敵を殺してしまう。六条御息所の無意識は生き霊になって、物語の現実に現れてきた。昔の人達はこの話を、現実の生活に起こりえること、として読んでいたいたのかな。なんとなく、そう読んでいた気がする。
言霊
物語に霊、お化けが現れてくる時、それらは何かしらの強いメッセージを象徴している。生まれた言葉、思念には物理的な制約がない、言霊という言葉があるように、一度語られた思念は、語り手から離れて、語られた人の頭の中で生き続け、時にそれ自身が再び語りかける。誰かに悪口を言う、その言葉は言葉の枠を超えて、言われた人の頭のどこかで、思念、霊のような存在になり、生き続ける。逆もまた同じ、語られた美しい言葉も思念として生き続る。言葉をかける人が意識していなくても。人間という存在は何かしらの思念に支えられていなければ、生きていられないように思う。この世に生まれてきた赤ちゃんには、名前がつけられる。その子に、そうあってほしいというような、願いのように、名前をつけるかもしれない。つけられた子は親の願い、思念を受け取る。人は自我ができる以前から、誕生の時から既に、言葉を語りかけられている。
生きている間に、いろいろな場所にいき、道を歩いたり、話を聞いたり、本を読んだり、サッカーをしたり、映画を見たり、犬と散歩したり、猫を撫でたり、恋愛をしたり、誰かが死んだり、綺麗な夕日を見たりする。生まれてから死ぬまで、いろいろな種類の多くの事から、語りかけられる。外側にクリームが塗られたミルフィーユのように、自分自身は一つのようだけど、語られる何層もの思念、イメージ、物語の生地が積み重ねられて、自分が作られているように思う。そうして作られた一人の世界の土壌から、あるイメージが生まれて、そのイメージは語る人自身を離れて、誰かの内面へ入って、その人を成りたたせている生地になっていく。誰かと話していて、いい表せられない情感を感じる時、その時に自分の中にイメージが入ってくるように感じる。情感とイメージは一体で、物語はそうして共有されている気がする。
ばら
現実の偶然によって、何かを失う。何かを失い自分の一部は喪失する。誰かに語られ、作られた物語はどこかで失われ、崩れていくかもしれないけど、再び、物語によって癒される。語られる新しい物語は、新たな解釈を生み出して、その人を浄化させ、静かに力強く無意識のレジリエンスを動かす。結局、ある人の存在は誰かを支える物語になり、ある文章、ある音楽、ある柴犬、情感をそなえているすべてのものは、誰かを支えることができるのだと思う。
米国の思想家、ラルフ・ワルド・エマーソンはエッセイの中で語っている。
「このばらにとって時間などはない。ただばらというものがあるだけだ。この世にあるその一瞬一瞬に完璧なばらというものがあるだけだ。葉の芽が萌え出ぬうちに、すでにばらのいのちはあますところなく活動していて、満開の花に多いとか、葉のつかぬ根に少ないということはない。あらゆる瞬間に変わることなく、ばらの本性は満たされており、みずからも自然を満足させている。」(エマソン論文集)
自分が語るべきものを語ることができれば、それはそれ自身で、ばらのように、自分自身を満たし、誰かを満足させられる。瞬間瞬間で、語りかけているものに耳をすましていたい。
昼夜が完全に逆転していた時、始発の電車にのって、最寄りの電車を降りた。あたりはまだ暗かった。空は徐々に様子を変えていた。深い青色から、薄い水色へ、それから、少しの紫とピンクが混ざり始めた。毎朝、こんなに空が変化しているんだ、と思った。空の紫とピンクの部分はオレンジに変わり、そこに朝日が昇ってきた。空は明らかに固有の情感を発していて、自分を満たしていた。その日の朝の空は、他の人も、鳥も、木々も、花も、あらゆるものを満たしていたと思う。
語られる物語は、偶然に語られて、自分の本性の通じるどこかで鏡のように感じて、無意識の海に沈んでいく。無意識の海とは自然そのものだと思う。恐怖すること、喜ぶこと、悲しむこと、それは自然の一つの形で、無意識の海から沸きおこったものだ。先祖の時代から、言葉、霊、思念のメタフォーを駆使して、いろいろな物語を作ってきた。人の無意識と自然は通じていて、語る物語が、自然に流れているリズムとメロディーに乗ることで、多くの人の持つ無意識の海を震わす共感を生み出したのだと思う。紫式部は千年後の世界の人間が自分の書いたものを読んでいるとは思っていなかったと思う。でも、彼女の物語は生き続けて、千年間、語られ続けて、それは僕の頭の中で六条御息所の生き霊になって、神社の貞子のイメージとなって現れた。
描くということ
これはむかし描いた連作です:)
今回はタイトル通り、自分がなぜ絵を描くのか、何を感じているのかについて描いてみました。読んでもらえたら嬉しいです😊
失敗とか成功とか
いつも絵を描いていて思うのは、真っ白な紙に何かを描いていくという行為には一種の恐怖との戦いがあるということだ。
まだなにも描かれていないキャンバスに対し、一本の線、ひとつの塊を描いてみる。書き込んだものは取り消すことができないものとして紙面に残り続ける。だからとても慎重にやる。それでも思い通りにいかないことの方が多い。『ああ、失敗したな』と思っても今ではもう作品の一部になってしまっている。
過去の失敗、失敗した過去をなかったことにしたくなる。はじめからやり直したくなる。
新しい紙に取り替えるか? 失敗だと決めてしまえばそれもできる。でも諦めずにもう一筆、さらに一筆とそこに新しい軌跡を付け足していくこともできる。
新しい紙に乗り換えればその後の進展は永遠知ることはない。でもそのまま描き続けるのなら過去の過ちと思われた一筆もなんらかの形には発展させることができるかもしれない。
そうして〈このまま続けるか、もうやめてしまうか〉を瞬間瞬間に選択し続ける。描いては考え、描いては考えを続ける。
『自分の生んだこの一筆はこの後どんな運命を歩んでいくことになるのだろう』そんなことが気になってくる。自分のインスピレーション・創造性に対して愛着が湧いてくる。
そうして『そのまま育ててみよう、見限るのはまだ早い』ともう一度向き合ってみる。最後までわからないじゃないか。それだって自分次第だ。
そうやって続けていった後になってはじめて、一筆には成功も失敗もあるはずがなかったと気づかされる。結局失敗とか成功とかいうものは自分の心が決めているものにすぎないということがわかる。大抵うまくいかなかったと思っていたときの方がたくさん工夫していい作品に出来上がったりするから面白い。
理性の声に従うな
絵を描くと自分の心と向き合うことになる。心との戦い、一種の精神統一をやることになる。理性が自分を決めつけようとするのと戦う。
『お前は下手だ、このままやったって誰も評価してくれないぞ、みんなお前を笑っているぞ』
そんなことを自分が自分に言っているのが聴こえる。これまでたくさん傷ついてきた心の声がそう言うのだ。もう傷つきたくないから。
そんな時『ほんとにそうかな? 俺ってそんなにダメなやつかな?』と心の声にあらがってみる。挑戦してみる。『結局最後までやってみるまでわからんじゃないか、ただ一筆書いただけで全て決まるなんてはずないじゃないか』そう思えたら後はすべてを生かし切るという覚悟、すべて生かしてやるんだという決意でやる。『最後まで諦めずにやりきってみよう。思い思いになってみればいいじゃないか』というふうに。自由にやればいいじゃないか。
ただ直感がおもむくままに筆を付け足していく。それだってただの直感でしかない。それを悪く言われても責任なんてとれない。『俺だってよくわからないんだから文句があるなら直感に言ってくれ』すると自然、理性の声も無視できるようになってくる。理性の言い分も大した言い分でもなかったとわかってくる。理性のことも理解してあげられるようになる。
面白いことに、こんな過程に揉まれたときは必ずいい絵が描ける。
最後までやってみなきゃわからないじゃないか
自分が絵を描くときは〈諦めようとする自分〉と〈そんな自分を超克しようとする自分〉とのせめぎ合いを感じながら描く。心の内側での葛藤を抱きながらやる。
自分はプロの絵描きではない。絵を習ったことはないから技術はともなっていない。線は対象をうまく描き出さないし、いびつだし、色味には雑味が多い。本物そっくりに描くというのだってできない。そんな自分に描く権利はあるのか?
大学2年の頃、ダヴィンチの素描展に行ったときに、ダヴィンチの描き方に注意をはらって、そこから本物そっくりに描くスキルを頂戴しようとしたこともあった。でも結局真似ごとにしかならないからやめてしまった。
(↓ダヴィンチの素描を見た後書いた模写)
未だに自分の絵を見た人からはいろんな意見をいただく。
「絵を習えばいいのに」
今じゃまだ足りないかのように。でもそんなことはどうでもいいじゃないか。そういうことじゃないのだ。自分は機会がある度に、なんとなく紙に向かってペンを握った。それでいいと思ってる。それ以上であってはならないとさえ思う。描いているときそこに忘我・忘理があればそれでいいんだ。今でもう必要十分なのだ。自分は絵師として野心家ではない。絵は習わずして感動させたい。それが芸術だ。
絵を描くようになってある確信を抱くようになった。描くことは〈なんでも最後までわからない〉ってことを教えてくれた。人生はそうは教えてくれなかった。ずっと〈こうしなさい、でないと〜になるぞ〉と言っては脅されてきた。それが人生のように思う。それが学校、社会、人間だ。人間には効率を考える頭があるからか。ここでも結局理性ってやつが顔を出す。
でも真実は〈やってみるまでわからない〉の方ではないか。どこまでいっても直感と感性を信じたい。はじめから先が見えてるものなんて創りたくない。
勝ち・負け
自分は中学生になって私立に進学した。スポーツ校でみんなスポーツに取り柄があった。自分はスポーツの経験がなかったから学校ではとても浮いた。運動神経はよかったが昔からスポーツはやらないたちだった。スポーツ番組を見なかったからだろうか? 親に薦められたりしなかったからだろうか? 理由はいろいろあると思うが、自分では〈勝つか負けるか〉の世界にうまく馴染めず、うまく友だちを作れなかったからだと思っている。
自分は未だに〈勝ち負け〉という基準が好きではない。根っからの負けず嫌いだからかもしれない。そもそも対等の条件から始まる争い事なんてないじゃないか。必ずどちらかにハンデがあって、どちらかにアドバンテージがある。〈負けた〉といってもそもそも勝負の土壌にすら立っていないことの方が多い。弱肉強食は食うものと食われるものが定まっているととても動物的でつまらない。実際勝ち負けという基準はとても動物的だ。だからやる気もあまり起きない。きっと自分がいつもハンデを負っている側だったからだと思う。
高校に入り、スポーツに明け暮れた時期があった。この時はたくさん練習もしたし、公式の試合にも出場した。だから勝負の土壌が整った状態でスポーツをした初めての経験だった。その時は熱中した。だからスポーツそのものが好きでなかったというわけではない。むしろスポーツは最高だと思う、安易に勝ち負けを競わなければ。もっと楽しい心持ちで一緒にいられないかな〜体育会の人たちと。
中学の時はスポーツ校の空気というか、そういうものに馴染めずにいつも独りでいた思い出がある。それに自分は勉強もできなかった。小学校の頃はできた。でも中間試験とか期末試験とかそういう勉強に変わった中学ではうまくやり方もわからなかった。まあ簡単にいうと頭いいとか頭悪いとかそういうことに関心がなかった。誰かより劣っていてもだからなんだというのだ?成績はビリから数えた方が早かった。ビリから2番目になったこともある。まさに学年全体に対して劣っていたわけだ。
スポーツもできない、勉強もできない、そんな自分。先生からは悪い評価ばかりもらった。小学校の頃は「感受性が強く、正義感があり、心の優しい子」と言われた。中学に入ると「勉強のやる気がなく部活もやめてしまって、規則を守らず生活態度も悪い」と言われた。それを世間ではクズという。こんなことでクズになるのか知らないが、とにかくこの違いはなんなのだ? 自分が変わったわけでもないのに受ける評価は全く変わった。〈いい子〉だったのが〈劣等生〉になった。心ではなく行いを見られるように。それだって決して悪事を働いたわけではなかったが。でも別に自分で自分を卑下したりもしなかった。『どうでもいいやー』という感覚だった。
だってどうでもいいじゃないか。
ちなみに高校に進学してからは目的ができて勉強し学年2位まで上り詰めた。と名誉を挽回しておこう。自分は変わってないが受ける評価はガラリと変わった。世間は面白いものだ。
誰にだって得意分野がある
自分には得意分野があった。想像力だ。
小学校2年生の時、LEGO・TECHNICという大人向けLEGOブロックにハマった。ブロックで何かを造ることは楽しかったが、造ったものに役柄を演じさせ、一人芝居をして遊ぶことの方に強くハマった。ものを造るセンスが飛び抜けてあるわけではなかったが、ストーリーを組み立てて遊ぶ、いわば妄想みたいなものにはかなり長けていたと思う。自由発想には長けていた気がする。人と同じ土俵でやり合うようなことをしてこなかった分、自分の心の声はよく響いて聞こえてきた。
その時の感覚は今でも強く残っているが、母親もそんな遊びにはまり込む自分を強く覚えているらしい。なにせものすごいセリフ量だったからだ。放っておけば何時間でも止まることなく延々続けている。ずっとセリフを口にする。ストーリーを演じ続けている。母からするとそれが面白かった。そのセリフの巧みさもすごいのだ。効果音なんて馬鹿にならないほどリアルだった。何かを忠実に模倣するとかではなくて、心の中で鳴っている音をただ出していただけなのだが。
ちなみに母は自分が悪い評価を受けていても口うるさく言わなかった。毎月のように学校に呼び出されていたがそれも達観して楽しんでいたようだ。面談が終わると「夜までには帰ってきなさいよ」と言い残して清々しく帰っていった母が懐かしい。くだらないことで母は怒ったりしなかった。
演じて遊んでいるときの感覚といえば、ただ自然と次から次へとストーリーが生まれてくる感じで特別あたまを使っているわけではない。子どもがよくやるように自然と飛び出してくるのだ。そんな遊びを恥ずかしいことに中学を卒業するまで続けていた。まさに子どもじみた子どもだった。その歳になってもおもちゃで一人芝居をして遊ぶ息子をずっとそのままにしてくれた母は偉大だったと思う。なかなかできることじゃない。
中学に入るといよいよ想像はかきたてられ、ストーリーも複雑になってきた。その時に頭が勝手に生み出した数々のシーンが現在の自分の生きる指標になっていたりする。かつて自分が生み出したヒーローのように今日の自分があろうとしている、そんな気がする。心がいつも正義を迫ってくるのだ。それってまあ、自分なりの正義だが。
勝算によらずただ信じる
絵を描くときもはじめから何を描くか、形なんかが見えているということは少ない。ほとんど無の状態からスタートする。
ペンを持ち、紙に向かってみる。一瞬ちらっと映り込んだインスピレーションを瞬時にとらえ、さっと一筆いれてみる。その時も全体像が見えているわけではない。それでもとにかくその一筆目のチャンスを逃さないように、勇気の一歩でとらえてみる。
たとえ一筆目が入っても、今度はその後が続かない。そうすると一筆目が随分と邪魔に見えてくる。こいつのお陰で非常にやりにくい。『失敗だったか?』疑いの目が迫ってくる。たゆみそうになる感情に向き合いながら『いや絶対間違いない、こいつも俺もこれでいい、これからが勝負だ!』と自分を信じてインスピレーションを待つ。するとチャンスの瞬間が訪れる。必ずやってくる。その時だ!
いけ!チャンスを掴め! 二筆目を紙に添える。見失わないようにさっと、しかし丁寧に。
筆の回数はインスピレーションの回数だ。そこに算段があるわけじゃない。算段はもっとずっと後になって出てくるものだ。絵を描くということに算段なんてものはほとんどない。最後の仕上げの時になってやっと算段の方からひょっこりとやってくる。絵の勝算は自分のコントロールを離れていて、決して自分本位のものではない。インスピレーションや直感だけが勝算をコントロールできるのだ。
勝機も勝算も何もない、かつての勉強もできない、スポーツもやる気がない、誰からも評価されない、くすぶっていた中学時代の自分のような状態をずっと過ごし続ける。それが絵を描くという行為だ。その状態をぐっとこらえて次なるインスピレーションを待つ。やっとのことで次のチャンスに恵まれてもそこに算段があるわけではない。『失敗か? このまま続けていいのか? いっそやめてしまうか? 新しい紙に取り替えるか? 今回だけなら…』そういう思いをぐっとこらえて自分を信じる。そこに根拠なんてない。ただインスピレーションに自分を任せ切る。うまくいくかわからない、それでもインスピレーションという自分の直感を信じて前に進む。わかるわからないで押しはからないように徹する。理性に負けてなるものか。
そのような恐怖の期間を乗り越えてはじめて、算段も勝算も立つ最後の段階に至ることができる。単純な線とかたまりでしかなかったものが意味を持って生まれ変わる。動き始める。
その時『ほら、やっぱりやってみなきゃわからなかったじゃない』と思う。
絵を描くことはこういうことを自分に明らかにしてくれるから好きだ。とても大切な精神修養をさせてくれるから大好きだ。し、必要だ。
子どもに負けてちゃ大人と呼べまい
絵で何かのメッセージを伝えようと思って描くことはあまりない。目的を持って絵を描くこと自体が自分のスタイルではないから。無目的に、キャンバスに向かう。子どもが絵を描くように。でももう自分は子どもじゃない。
だから子どものように描くことは難しい。
算段も勝機もないのに描くことは難しい。
それでも敢えて挑戦する。だって人生もそうだもの。
そうすると自分の直感の偉大さを思い知らされる。
子どもの心の清らかさの偉大さを思い知らされる。
子どもが偉大とはいうが自分は子どもの頃の自分に負ける気は毛頭ない。だって今の自分の方がたくさんのことを経験し乗り越えてきたのだから。あとはそんな過去の遺産に囚われない自分をつくれるかどうかということ。
その練習を自分は絵を描くことでしているのかもしれない。
(↓これまでに描いた絵 )
香港で出会ったアーティスト「ICHI」 by Geoff Ayres
今日はシンプルに香港で出会ったアーティストについて書く。
とその前に軽く僕の話を
僕が香港に来たのは2015年の5月。
大学を卒業後単身香港へと旅立った。
父が香港にいて、香港で仕事を紹介してくれるという言葉がきっかけとなった。
でも、事はそんなに単純ではなく、実際に旅立つ直前までかなりの期間悩んでいた。
単身香港に移住するのは、リスクがあるし、何より実際仕事が得られるかどうか分からない。その後の生活がどんな風に変わっていくかも全く予想がつかないものだった。
そんな中、当時読んでいたブラジルの著者パウロ·コエーリョの「アルケミスト」に影響を受けた。
”「…おまえは自分の心から、決して逃げることはできない。だから、心が言わねばならないことを聞いた方がいい。そうすれば、不意の反逆を恐れずにすむ」”
”「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。
それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」
「夢を追求する一瞬一瞬が神との出会いだ」と少年は自分の心に言った。
「僕が真剣に自分の宝物を探している時、毎日が輝いている。
それは、一瞬一瞬が宝物を見つけるという夢の一部だと知っているからだ。
本気で宝物を探している時には、僕はその途中でたくさんのものを発見した。
それは、羊飼いには不可能だと思えることに挑戦する勇気がなかったならば、決して発見することができなかったものだった」”
(引用:角川文庫「アルケミスト」)
この言葉に出会って僕は香港に行くことを決意した。
今でも「アルケミスト」は僕の中で最高の本だ。気になる人は是非読んでみてほしい。
そこからどうやって仕事を得たのかなどは、また後々に書いていきたい。
香港で出会ったアーティストICHI
香港に来てしばらくして、会社の社長にIchiというアーティストを紹介していただいた。
彼はコミュニケーションの天才で、彼ほどのコミュニケーションに長けた人を正直あまり見たことがない。
国や言語を超えて人と交流している姿にいつも感銘を受けている。
英語をあまり話せない彼が、様々な人種の人に好かれているのを見ると、英語力うんぬん言っているのが、全くバカバカしくなってくる。
あまり色々勝手に書くと、失礼なので、あくまで今日は彼の映像と作品を紹介したい。
ICHI
ART WORK
LINK
気になった人は上記のInstagramを是非ともチェックしてみてほしい。
ヴェネチア・ビエンナーレ芸術論/芸術のあるべきすがた
こんにちは😌
2回目の投稿、早速ですが二週間越しの投稿で、週一投稿の約束を破っています😊
Art Base Projectの山内勇史です。
今はまだ陽の目は見ずともいつの日か必ず大義を帯びるであろう設計図をここに発表したいと思います。次代の設計図、芸術市場を乗り越えた文明という枠組み内での芸術の価値を、今はただ歴史に刻み込むという一心をもって、万感のこもる中、今ここにしたため置きます。
〜とあるヴェネチア・ビエンナーレを例にとった芸術論〜
【傑作とは何か】
ある人間の一個の主張が、時代に最も顕著な影響を与え、当世の社会の設計図として機能するためには、その思想がたとえ匿名性を帯びていようとも、人々に感涙を焚き付け、いかなる哀感も苦悩も葛藤も押さえつけて、心に希望の一途を与えるものでなければならない。優れた思想の与えるものは前途であり、光明であり、色彩である。
それは権力や名声とはまったく別の要素をもって、人々の心に感動を与える。その思想の産物に委ねられたエネルギーは、たとえ無名の作家の無名の作品であっても、世界と人々との間で反響しゆく人間性ゆえの雷鳴をもたらすのである。
然るべき思想は、種が雨水と陽光に浸れば必ず芽吹くのと同じように、然るべき要点を押さえているがために、当然にして奮然と社会に芽吹いてくるものである。ことはそれが人々に希望を与えるものであり、人間は人知れず自身の内省の内側に希望を見出すものであるから。
思想であっても哲学であっても、また、文学であっても芸術であっても、一個の人間の主張であるならば、真に社会に芽吹くものと単にいち流行に過ぎないものの間に生ずる違いは、このように歴然としているものである。いわゆる人間性の頂きにリンクした知性のみが、このような傑作たり得る。それだけが真実、われわれ人類が遺産とすべき産物といえるだろう。
そもそも、今世紀・21代目を迎えた現代にあって、我々が紡いできた数々の遺産は、多くの機会・側面とにおいて絶えず欠点を吹き出しながら成長してきた叩き上げの産物といわねばならない。かつての文明はかつての文明ゆえの劣化性を内側に込めており、それが創出の過程あるいは創出後われわれの手の元に至るまでに数々の屈折をこれに与えながら、結果として遺産に多くの欠点を与えることになるのである。ゆえに遺産に与えられる〈過去からの継承〉という勲章は、過去あるいは継承というこの二点を理由として、一義的な高い評価を遺産に与えるものではない。
たしかにそれは高くそびえ立つ欠点の凝固物としてその高さゆえの慇懃さを漂わせることはあるにしても、その内実は決して素晴らしさを権威付けるものではない。我々は多く、旅行や勉学の折に過去の遺産を歴史のうちに見聞するが、かくいう体験からしてみても、これらが決して傑出したものばかりでないということは我々が想像するに難くない。
すると、多くの遺産というものは、現代においては、我々が無条件に降伏すべきものではない。それは我々を拘束すべきではないし、我々もまた拘束されるべきではない。時間と歴史はそれだけをもって威厳を保つものではあり得ない。
ゆえにわれわれ21世紀の人間はこれらの遺産を悠々と乗り越える完全な権利も力も当然に有していることになる。このような整理から、我々は今一度、過去から継承した流れだったり、物品・思想・在り方だったりを吟味し直すべきであり、一様にその前にひれ伏しているようなことがあってはならない。
つまり我々は、あるひとつの任意の存在については、それが有する時間的・歴史的な価値を裏付ける遺産という情報さえも乗り越えて、ただ目の前のものの有する人間性の頂きを判断する姿勢を身につけなくてはならないのである。
【現代社会における審美眼】
今日われわれが生活するこの情報化社会にあって社会あるいは人々の関心をさらっている主要な要素は、ある物そのものより、むしろそれと共に発信されている副次情報であることには多言を要すまい。たとえば遺産は、それが遺産として有する〈遺産〉という情報・歴史・生み出した創造主は誰かという事柄が、そのもの固有の純粋な審美的な存在価値を差し置いて主要な情報要素として語られる。我々の世界が情報社会である限り、このような副次情報という広告力のもつエネルギーは、否応なく人間の感性から関心をむしり取って我がもの顔をする。我々は絶えず、物の・思想の素晴らしさではなく、広告の発する副次情報の巧みさから価値判断の選択を迫られる。広告社会はひっきりなしに実物に触れる機会を阻んで、商業主義的で恣意的な整備を施された危うさを代位している。
結局、このような社会における副次情報の優劣・正否を議論し、それがいかに素晴らしいものであることの証明を試みようとも、それはある存在そのものの価値を裏付けているとは言いがたい。それにも関わらず、カクカクシカジカの催し名を冠って発信された物や思想は、ただそれだけで、たったそれだけのことで、乱世の情報戦という戦の上ではたちまち優勢に立つことになる。
もはや我々にとって情報は広告であって、真実ではない。広告は真実でなくとも、ある種の事実となった。真実は事実でなく、空想の名を付されることとなった。真実より、科学の一員である広告が事実として猛威を振るう時代となった。
しかし、たとえ情報そのものが正しかったにしてみても、その真相を突き止める能力に長けることになったとしても、目の前のものの価値を判断することにそれらは決して腕力をふるうものではない。
結局、我々は見なければならない。情報戦に勝ち抜いた思想・存在そのものに果たして価値があるのかということを。耳を傾けるべきは、それの奥底に流れるべき心の息吹きの有無いかんである。これを世にリテラシーというが、それを正しくは審美眼というのである。情報のリテラシーではなく、眼前の事実から真実を見破るリテラシーである。
【ヴェニスの商人 ビエンナーレとダミアン・ハースト】
ことに芸術の世界にあっては、あらゆる種類の芸術が今日に至るまでに開拓され、たとえば、かの偉大なるパブロ・ピカソのキュビズムのように、新しい物の見方や表現の方法を模索する試みそのものがそのままアートである、と言わんばかりに訴求力をもっている。現代アーティストはこぞって、斬新でパワフルな活動を展開してはアートとしての評価を受ける。
特に今年2017年にはイタリア・ヴェニスの場で、世界最古の芸術祭であるヴェネチア・ビエンナーレが開催されると共に、重ねて、現代アーティストのトップオブトップ、ダミアン・ハーストの個展も併催された。
この二大イベントによって、ヴェニスは世界に現代アートが何であるかを一目瞭然・描き出したといえる。あれこそ、今日のアート界が芸術として提唱する思想・存在を暴き出す時空間であったのだった。
ただ、芸術が本来何であるかということと、われわれ人類が血迷った挙句に辿り着いたアート(=現代アート)が何であるか、ということは別のテーマであろうと思う。本来あるべき芸術と、我々が歴史のうちに生み出した遺産としての現代アートは、それはまったく異なるものとして両立し得る。
当為論としての芸術は、当世の設計図として機能する、沈み切った空気にたわむ朝露のごとき純真な力をもって人々の心を改めるあの人間性の頂きをいうのである。一方、現代アートとして今日目に触れる芸術は、人類の芸術が歩んだ先に生まれた旅路の存在であって・通過点であって、辿り着くべき行き先ではないし、ゴールなんかでは毛頭ない。
ここで、現代社会に顕著な一切の現象が芸術の旅路を遅らせることで絶えず人々の迷いを助長する様子を、我々は現代アートと当為的芸術との乖離の中に見いだすことができる。
芸術の世界を引き合いに出して語るのは、ことにそれが人々の審美眼との関係で非常に重要な役回りにあるものだからである。そして我々は今年ヴェニスが生み出した時・所において、私たちの審美眼が死に逝くゆえんを知るのである。
【ヴェネチア・ヴィエンナーレ】
現代アートの最高峰の祭典として、各国の代表作家の大掛かりな作品が、文字通り、軒並み連ねるヴェネチア・ビエンナーレ。あるいは現代アーティスト四天王のトップオブトップであるハーストの現代アートの象徴たる巨大かつ圧倒的な作品を見て、現代アートが何たるかのプレゼンテーションを我々は受けることとなる。
そこでは、水の都ヴェネチアでかつて漁業の基点とされた漁港の静まり返った海顔と美しく管理された海岸の佇まいに、パビリオンとよばれる各国の展示会場が設備され、その会場に大・中の大型作品が展示されている。各国代表1名のアーティストを選出し、その年の祭典が定めた題にてらって作品を制作・展示、金獅子賞を競い合う。
作品はほとんどが空間一帯を用いた空間芸術で、それらはみなパビリオン全体を使って一個の世界観を描き出している。会場には無数の世界観が壁ひとつあるいは壁ひとつ無しに存在している。
リンク:(https://www.google.co.jp/amp/s/www.theatlantic.com/amp/photo/526749/)
リンク:(https://www.designboom.com/art/japan-pavilion-venice-art-biennale-takahiro-iwasaki-05-12-2017/)
その会場の放つ圧倒的な空気感・スケールは世界最古・最高峰の式典だけあって、まったく圧巻である。特に、ルーブル美術館やニューヨーク近代美術館など世界中の有名美術館へ足を運んでも、ここまで空間一帯を駆使した作品に溢れた空間には出会えない。絵画・彫刻より一層スケール感のある空間芸術は、特に空間そのものによって訴えかけてくるところが大きい。
しかし、たとえそうであったとしても、私たちは自らの動物性ゆえの影響から自由でいなければならない。つまり、空気感やスケール感によって審美感覚を歪曲されることを厭わねばならない。
【ダミアン・ハースト】
あるいは、ダミアン・ハーストの個展は、こちらも巨大で美しいギャラリースペースによって開かれている。計2つの会場をトータルすると、小さな小学校校舎くらいはありそうなスペースで手がけるは、何十何百に及ぶ立体・彫刻作品の展覧会。
リンク:(https://www.vogue.co.jp/lifestyle/culture/2017-06-04/page/17)
ハーストはここで、〈壮大な嘘は1つの現実〉たることを証明しようとした。壮大で均一の取れた作品が大は数十メートル・小は数センチに至るまで、広々と展開されている。
しかし、大衆は常に真実を見抜く。ハーストの嘘が現実になろうと、その作品の空虚感は会場における大衆の目によって露呈させられているはずだ。
【真実の芸術とはそんなものではない】
結局、芸術にも二面ある。
ひとつの面で芸術は、各個人の自由なキャンバスとしての機能を果たす。みな人それぞれが自由に筆を振るい、台座を用いて、線も形も色合いも、そして言葉も思想もまた、思い思いに降るってよい。いやむしろ、そうあるべきだと思われる。
もし仮に、個人の意思が社会のあらゆるシステムの中で抑圧され、不当に自由を拘束されているのだとすれば、われわれは意思そのものに教え伝えねばならない。本来、意思とは自由であること、自由な意思の有する創造の力がいかに優れているのかを。
不当な抑圧でいじけた意思に活力を与えるために、私たちは芸術する。このような芸術は、確かに人間の内省の秘めた自由な創造性の存在を、当人にも社会にも打ち明けるのである。
しかしこのような芸術の側面は、一側面ではあり得てもけっして全面を表してはいない。
自由な意思を自認した人間は、自らの自由にかまけて野原を精一杯に走りまわっていることもできる。しかしそのような芸術の一面性に依存した芸術家は、精神は自由である・意思は自由であるということを表明しているに過ぎない。それはいかにまことの真理であり得ても、結局、人間の個人性に着目したものでしかあり得ない。
人は人の間にあって初めて人間であり得る。人でしかなかった存在が人の間に置かれた時、そこに社会はもう芽生えている。われわれ現代人の多くは、物理的な意味で孤独を味わえたことはなく、生まれながらに社会があって人間として生まれているから、単なる人としての・個人としての自己に立ち会った経験はない。そこで、一室にふけ入り、無我夢中に創作することで芽生える個我としての己の自覚は、それを体験した者にとって大いなる意味合いを持ってくる。しかしたとえそうであったとしても、人間である社会性ある自分の側面を否定し投げ捨てることはできない。それは一室に閉じこもった時間から生まれる大きな誤解であって、結局、社会の中の人間である自分、世間に作品を発表し影響力を持つことになる自分、そんな人間である自分を正しく認識した時、自らの精神の自由だけを訴えるのでは規範がない。しかしたとえ一室に閉じこもった芸術家であっても、そこに規範は歴然と存在しているのである。人はみな、ひとりではない。たったこれだけの事実でも、それは私たちに次のような訴えを持っている。
すなわち、
「あらゆる芸術家や人間は、自己の作品とそれが与える社会的影響に責任を持たねばならない」
「自己の精神の解放、他者の精神解放の自由、そして、自他という二つの個我の矛盾・衝突を回避する装置としての平等、これらを訴えていればよかったという時代は終わったのである。
自由と平等が正義である時代もまた、我々は開拓し終えた。
個人が自由を手にしてさえもまだ、払拭しきれぬ嫌悪感・充たされぬ充足感・幸福感の欠如、平等を謳っていてものこるしこり、これらがなぜ生じ、過去より成長した我々に何が未だ足り得ぬのか、
我々は見定め、学ばなくてはならない。
そしてそれこそ、人と人の結合なのである。
各人の自由と平等の次に、我々は各人の結合と調和の中にのみ生まれる幸福を学ばねばならない。
我々は新しい自然法を覚知し、憲法に明記せねばならないだろう。
我々は新たな人権をもって、我々みなにとって重要でそれを事欠いては幸せに生きることができない人間性というものを守っていく必要があるのである」
「芸術が資本主義とか個人主義とかそういう個の一面に着目し、不貞の姿をさらしながら、人間に内在する徳性・利他性・品性を滅し、同じく内包する悪性・利己性・暴力性を活気たらしめるものとして機能することをやめなくてはならない。芸術は資本主義と連なりながら、それと同時に、人間がみな共通に人間であることを自覚させ、人間性に根付いていかなくてはならない」
そこで芸術のもう一つの側面は、社会に対しての責任ということになる。それを否定し、個性の一面に固執し、責任性を放棄することを望むのなら、極論、そのような作品は社会に流通されるべきではない。森の中に閉じこもり、自らの精神のためだけに作品と向き合うべきである。一室のうちで創作し、そのまま一室にとどめ置くべきである。
【ヴェネチアで見たもの】
ヴェネチアで私が見たものの問題は、結局こういうところによるのではないかと思う。
ダミアン・ハーストは〈壮大な嘘は真実となる〉というメッセージをなにゆえ世界に届け出たのか。
ヴィエンナーレの作品はなぜ世界的なアート祭であるのに、あれほど熟達されていない過渡的なメッセージを平然と表明するのか。
なぜわれわれ人類は芸術を鑑賞するとき、それを、心によってではなく、審美眼によってではなく、作品そのものによってではなく、作品に付された説明文によって行わなければならないのか。
心を打つ・感情を動かすという使命を帯びた芸術、それの最高峰と呼ばれる作家・作品が結集したヴェネチアにおいて、なぜあれほどまでに鑑賞者たちは何食わぬ顔で闊歩することを許されたのか。なぜ心を奪われ立ち止まらされることなく歩むことを許されたのか。
これらはいずれも、芸術が芸術としてのアイデンティティと使命を失念しているからに他ならないと私は思う。
人間は失敗を犯しながら成長していく。そこから、ひとりの芸術がまず個人的な側面において成長していくという過程を否定するものでは私はない。多くの人にとって、個人的なキャンバスであるという芸術の価値は偉大だ。その流れの中で必死に教育され、自由を知り、強く生きていく姿勢を学ぶ意義は底知れない。しかし、世界・社会が名作として評価・提示する芸術は芸術の二面を結合し完成させたものであるべきはずだ。
そんな視点から今年ヴェネチアが提示した芸術を見るとき、それが私には不甲斐なく見えたのだった。今日のヴィエンナーレがもし、歴史を継承・継続していくことをのみ使命とするものなのであれば、もし二年に一度の開催を裏付ける必要性がそれしかないのだとすれば、芸術論の観点からは今すぐにでも開催を改めるべきである。人類に還元される最も崇高な価値を芸術が表現していく土壌は、それが人類の持ち物であるがゆえに、皆で守っていかなくてはならない。もし今日のヴィエンナーレが文明のたたき上げの産物として欠点を帯びた遺産であるならば、我々は意欲的にそれの在り方を再考していかなくてはならない。来場者の数、経済波及効果という数値によって測ることのできる価値を超えて、人間性の頂きを描いた精神性の価値を守っていかなければならない。
このような機能を我々Art Base Projectが担えればと思う。
ありがとうございました:)
なにか表現するとき
初めまして。ART BASE PROJECTの石上洋です。
映像、写真、デザイン、WEBをやっています。
今回、初めての投稿です。表現することについて書いてみました。
絵を描く
子供はみんな絵を描く。知り合いのお子さんの女の子は一心に赤色の色鉛筆で何か人のようなキャラクターのようなものを描いていた。無心に脇目もふらず、筆運びには迷いがなかった。自分の内面の衝動に従って、画用紙に向かい合っている様子がなにか羨ましく感じられた。
僕も子供のころは夢中になって絵を描いていた。キリンから、ライオンから、太陽からその時感じていたものをそのまま描いていたと思う。小学生になって、なぜか絵を描くことはなくなっていった。その当時はサッカーをしたり、ゲームをしたりに夢中になっていた。サッカーはとても楽しかったし、ゲームはスマブラとかマリオカートとかゼルダの伝説とか面白いゲームがたくさんあって、とにかく絵を描くことはなくなっていった。
きっと、自我が芽生え始めた頃の年齢の子にとって動物や太陽や雲、一つ一つが自分という存在に迫ってくる不思議な存在だ。そこで、絵を描くことで、想像の世界でその対象と遊び、存在を確認し、自分はこういう風に世界を見ているんだ、と宣言しているように思える。まだ何者でもない子供にとってその世界の認識を表す行為を繰り返すことで固有の自分というものをつくっているのだろうか。
内と外
僕は19歳の頃から写真を撮り始めた。その頃から今まで、主に街の写真なんかをとっているのだが、街の中でシャッターを切っていると、不思議な感覚になることがある。自分と街の気配が一体となって、自分の存在が薄くなったように感じて、ある種の忘我の状態になるのだ。写真を撮るという行為も、自分の世界の見え方を宣言していることだとも捉えられると思う。何か自分のアイデンティティーを掴もうとする行為には、外の世界を積極的に確かめようとする行為が必要で、うまく存在を掴めたら、個人の内面と外の世界の境界が薄まって、逆に自分というものが現れてくるように感じる。内と外の境界が薄まり溶けていくことで、初めて自分の中の情感、印象など内側の部分を外の世界にあけわたすことができる。
絵を描いたり、文章を書いたり、人と心からコミュニケーションを取ろうとする時には、何か自分の内面をそのままあけわたさなければ、何も達成されないように思う。子供のころというのはそういった、自分の内面に溢れてくるものを投げ出すことを自然とできる。だから、子供の絵を見る時そこに自己の制約のようなものを感じないし、のびのびと素直な気持ちになる。だけど、大人になって、社会に適応していくうちに色々な考えに縛られていく。お金を稼がなければ生きてはいけないし、そのためには社会的な存在にならなければならない。自分のする行為に色々な思惑が出てくる。その中で、自分というものを確かめる機会は減っていくし、難しくなってくる。
カメラを持つ時、何を撮りたいのか感じる。絵筆を持つ時,何をキャンパスに描こうか、自分の気持ちを感じようとする。文章を書くときも。なんでもいいけど、意識的に自分の気持ちを感じる機会をつくることが生きてく上で必要なことのように思う。そうでなければ、自分という存在は他者が意図する風に無意識にひらひらと流されてしまう。
見逃されてしまうもの
アメリカ・ルネサンスの作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローという人は、暮らしという生きること全般を、自分の手でつかみ取ろうとした。ソローは19世紀当時の経済性・利便性を追求した社会に疑問を持ち、森に行って自分で丸太小屋を建てて二年二ヶ月ほど自給自足で暮らした。
『私が森に行って暮そうと心に決めたのは、暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に実は本当は生きていなかったと知ることのないように。暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は今を生きたいのです。私はあきらめたくはありません。私は深く生き、暮らしの真髄を吸いつくしたいと熱望しました。』 (森の生活 ウォールデン)
森の生活には自然や動物の描写があふれている。ソローのそれらへの観察はとてもきめが細かい。こんな話が書かれている。
ある日、エリマキライチョウという鳥がひなを引き連れてソローの小屋の前までやってくる。エリマキライチョウは人が近づくと母鳥の合図一つで、ひな達はあちこちに散って離ればなれになる。母鳥は人間の注意を引くためにわざと翼をひきづって歩いたり、人間の目の前で狂ったように転げまわったりする。ひな達は木の葉の下に首を突っ込んで平たくなってうずくまり、遠くから送られる母鳥の合図だけを待っている。ソローはひなを手のひらにのせてみるが、ひなは母鳥と本能に従って、恐れもせずふるえもせずに、ただじっとそこにうずくまっている。そして、ひなのおだやかな大人びていながら、あどけない目を見て、あらゆる知性がそこに映し出されていることを感じる。森はこれほどの宝石を他に生み出すことはないと言う。
丁寧な慈しむような観察から一種のインスピレーションを得ている。ソローはこの時、エリマキライチョウの親子と一体化していたのではないかと思う。ソローがひなの目を見たとき、そこにソロー自身をみたのではないか。人は何かをみるとき自分の知覚、心を通してみる。ソローが持っている精神の宝石部分がひなの目によって現れてきたように思う。 知覚して、自己の中に他者の像を映し、そして他者を感じようとする時、そこにはそれだけの余白のようなものが必要だ。ひなの存在はソローの心の余白にすっぽりと写し出された。そこから、ソロー独自の観察が生まれる。獲物をとることに意識がいきすぎている猟師がいたら、そんな風には観察できない。何かその人の先行する意識が、ある存在を自分のための”モノ”としか捉えられないようにしてしまう。そうなると、多くの神秘的なものは見逃されてしまう。
ゆっくり歩く
僕の友人でとてもゆっくり歩く人がいる。彼と街を散策していると、歩くペースを合わせようと自分もかなりゆっくり歩くことになる。今右足が地面に着いた、今左足が上がったと感じられるような歩き方だ。そうして歩いていると、空間の感じ方が変わるのがわかるのだ。景色が広がったように感じ、行き交う人たちの印象が内側に入ってきて、街全体と一体になるような。自他の境界が溶けてなくなるような意識になる。木の葉を見て、沈もうとする太陽を見て、走り出す子どもを見て、自分の内側に情感が溢れ出てくるのを感じる。そんな時、その瞬間を残したいと強く思う。だから、写真を撮っているのかもしれない。ソローが森で暮らそうとしたのは、自分の内に溢れてくる印象に重きを置いたからだと思う。内面の情感から生まれくるものが日常を彩り、人間の世界を豊かにしている。縄文人が縄文土器をつくったのも、ロダンが彫刻をほったことも、ホイットマンが詩をつくったのも、内から発せられる印象に忠実であったからだと思う。彼らは内と外の境界のない部分から溢れた概念で形、音、言葉を生み出した。だから、それらを見る時、個を超えた空間の広がりを感じさせる。その場所にずっといたいと思えてくる。
ゆっくり歩き、見える景色、歩いている感触を確かめたい。歳を重ねてくうちこれはやってはいけないとか、これをしたら空気を壊すんじゃないかとか、色々考えてしまうようになった。子どもがふと思い立ったように突然走り出すあの、内から溢れる気持ちを表す行為。いい大人が突然走り出したら、アブナイ感じだが。それも空気を読む考えかもしれないが。精神的にそんな気持ちを持っていたいなと思う。
感性的価値を重視したプロモーションについて by Ken Ishigami
2回目の投稿をします、Art Base Projectの石上賢です。^ - ^
上の写真はベネチアの飛行機の中でArt Base Projectの映像ディレクターHiroshiが撮影した写真です(^ ^)現在のホームページにも使っています!
まだブログの投稿になれず、何を書いたらいいのかと迷っている状況です!笑
Art Base Projectを本格的にスタートさせたのは昨年の11月からで、それまでは、個人でアーティストの海外での展覧会のサポートを大学1年生から行ってきました。具体的には、イタリアのヴェネチアやニューヨークなどでの展覧会を企画から交渉、プロモーション動画の制作までを行っていたのですが、一人ではできることが限られていたので、昨年から国内外の様々なメンバーを誘ってチームを結成し現在に至ります!!
そもそもなぜArt Base Projectを立ち上げたのかという理由は第1回目の投稿でお伝えしたので、興味のある方はそちらを見て頂ければと思いますが、今回の投稿では現在私たちが何をしているのかを少しお伝えできればと思います。
現在約10以上のプロジェクトを同時に行っており、全ての詳細をお話することはできないのですが、これまでの経験やパートナーであるYujiと話し合う中で行き着いたプロモーションを行う上で大切にしている項目を幾つか挙げて説明をしたいと思っています!読んでくださる方に、何か情報構築や発信などプロモーションにおいて参考になれば嬉しいです( ´ ▽ ` )ノ
感性的価値について
まず、芸術や工芸が有している価値は感性的な価値(美の価値)にあると考えています。美の価値は人の情緒を表し、あるいは情緒に訴えかけます。美術作家は必ず、自己流の美意識をもって制作にあたっているものと思われます。そして、鑑賞者や顧客はその美意識を鑑賞に伴って観察し、うかがい知れたときにはじめて評価が生まれます。作家の情緒的で感性的な価値である美意識がどれほど傑出したものであるかに加えて、その表現の方法や技法がどれほど高度かつ適切かによって、鑑賞者に与える情緒・感性的な影響は変わってきます。
たとえば、伝統的な工芸品として日本工芸の代表に位置する漆塗りを例にとってみましょう。漆塗りは高度な技術を習得する必要のある代表的な工芸であり、また主に椀などの実用品を制作する際に用いられています。そこで、漆塗りといえば「高度な技術」や「実用品」といったところに注目がなされ、作家の表現的な価値は乏しいように感じられがちです。しかし、たとえば漆塗りの椀が神に貢ぎ物をする際に用いられる神聖な道具だったということを考えると、漆のもつ光沢感と厳かな雰囲気が日本の神々に対する神聖さを象徴する日本人独特の美意識から発した一種の表現として用いられたことがわかります。つまり、漆器そのものが日本人の感性を表現し、また日本人の感受性に訴えかけるものとしての価値を有しているのです。同じく儀式に用いられる器であっても、日本のそれと世界のそれがまったく異質であることは、それぞれの国の神聖さに対する美意識、つまり感性が異なっていることを端的に表しています。このような点に留意すると、漆器はそれ自体が日本の感性を表現した工芸品であり、たとえそれを制作した作家が情緒的な価値を付与していなくとも、立派に感性的な価値を有しているといえるのです。
しかし、こうした価値を有している漆塗りの作品について、いったいどれだけの情報が社会に出回っているでしょうか。漆塗りが高い技術をもって制作されるものであることは周知されてはいるものの、そこに込められた情緒的価値は正当に発信されていないというのが現状であると考えています。
感性的価値の情報発信の重要性
情報化社会になるに従って、CM、雑誌、インターネット、SNSなど、社会には実に多くの情報コンテンツが提供されるようになりました。人々はこのようなコンテンツを介して常に情報に接し、利用するサービスや購入する商品を決定しています。情報が強大な力をもって支配しているこの社会状況においては、いかなるサービスや商品を展開するにも、情報を整備し適切に発信していなければ、競合相手との関係で優位に立つことはできません。情報化社会であるということは、情報を正しく展開している者がより多くの注目をさらい、情報のない者からどんどん搾取していくことができるシステムが完備されているということだと思います。そこではいかに優れた作品を制作していても、情報展開している者との競合においては勝ることが難しいという理不尽な結果が生まれてしまいます。しかし、裏を返せば、市場が求めているのは優れた作品の情報であるということになります。情報さえ組み込まれていれば、優れた作品にはそれに見合った数の注目が付いてくるということになります。それは非常に大きな可能性をもたらしてくれているシステムでもあるのです。
美術作品を市場に展開させるために構築すべき情報は、作品の感性的な価値を説明したコンテンツです。情報化社会において美術品が評価されていくためには、ただ良い作品を生み出すだけではなく、なぜそれが良い作品といえるのかを説明する情報を市場に展開していくことが必要です。美術品が他の工場から生み出された物よりも良いといえるのは、職人技による差異もさることながら、その作品が単なるプロダクトではなく感性的な価値を付与されたものだからです。その感性的な価値、すなわち人々の心に訴える素晴らしいポイントはどこにあるのか、それを情報として構築し発信することができれば、人々の下す評価は格段に良いものになるでしょう。このような感性的な価値を有さない、あるいは乏しい作品もあるかもしれませんが、もし作品に感性的な価値が見出せるのであれば、それは市場に知られなければ損になります。そして、感性の時代として想定される次代においてはこの感性的価値こそが、市場に提供するべき本命的な情報になってくるのです。
また美術作品だけでなく、どんなプロダクトでもこの情報過多な現代では、商品の機能や特性よりも、その商品の思想やビジョンなどの商品の背後にあるストーリーこそ重要であると考えています。つまり、HOW(どのようにつくっているか)やWHAT(機能や商品がなんであるか)よりもWHY(なぜそれを創るのか)という問いに答える情報を構築し、発信することが必要ではないでしょうか。
情報戦略の方法
今日において優れた成績や評価を残している作家は、いずれもこの情報戦略をいち早く取り入れているというのが現状です。たとえば芸術の分野においては、作家が自分自身の芸術観を自ら情報として構築・発信するのが困難である場合には、芸術観の説明を担当とする専門家をプロジェクトチームとして雇い入れたり、反対に自分自身で情報展開することができる場合には、説明は芸術家自ら担当して、代わりに作品の制作を雇用した者に担わせるなどして、組織的な活動形態をとることで創作と情報発信の両方を連動させています。最高の創作と最高の説明が相まって最高の芸術が成り立つというのが現在のアート市場における面白さでもあると思っています。
Art Base Projectの情報戦略
ここまで概観したとおり、美術品の有する価値を市場に顕在化させるひとつの試みとして、作品の感性的な価値を情報として整理し適切に発信していくことが、今日の美術市場における必要事項となっています。そこでArt Base Projectは、美術作家の情報戦略を支える機能的なサポートとしてミクロとマクロそれぞれの視点からプロモーション事業とプラットフォーム事業を志向しています。
ミクロの視点から展開される情報戦略「プロモーション」は、著名な作家たちが情報戦略として採用している情報戦略プロジェクトをArt Base Projectが担うかたちで行われる戦略です。私たちが行ったプロモーションの結果としてあるアーティトでは、例年の倍を超える個展の売り上げを達成することが出来ました!
一方、今後新たに展開する「プラットフォーム」については未だ多くを語ることはできませんが、作家の情報と作品が一堂に集まるネット空間であり、リアル、ノンリアル双方の場でコミュニティーを創造し、新たなかたちのアート市場を形成しようとする事業になります。本格的には来年から実施していく予定です!
Art Base Projectの情報構築と発信
Art Base Projectでは作家自身が発信媒体となる情報戦略を行っています。プロモーションでは感性的価値を情報化したコンテンツと発信するために必要なコンテンツを構築し、作家に代わって情報発信を行います。また情報の構築・発信だけでなく、必要に応じて経営戦略や販売促進、広告戦略なども行っています。
情報構築
情報の構築では、作品や作者の有する感性的価値を紐解き、その後に情報発信に必要なコンテンツを作成していきます。作成したコンテンツは多様な局面で利用が可能な万能ツールとして機能し続けていきます。またコンテンツは感性的な価値を発信していくのに適したかたちで作成される必要があります。
- 作品の感性的価値を紐解く
プロモーションにおいて最も重要なのがこの段階です。感性的価値はその作品を制作した本人でさえ言語化するのが難しいものです。Art Base Projectでは作品とその作品が属する技法を徹底的にリサーチした上で、作家自身から語られる情報を主軸として、感性的価値を共に築き表現していきます。
作家にとっては自身の作品の価値が明確なかたちにまとめられることによってより効率的に自身の制作活動にあたることができるようになるという点でも非常に重要な作業になります。
- 感性的価値を表したコンテンツ − 文章
紐解いた感性的価値を文章化して、情報発信するためのコンテンツに落とし込んでいきます。文章は最も基本的な情報ツールであり、簡単に制作できるという点から、ニュアンスで制作されてしまうことが多く、たとえ整備されていても情報コンテンツとして機能していないことがほとんどです。どのような文章により表現するかは、どのような作品を制作するかと同じほど奥が深い作業になります。その点、この作業によって流通した情報が市場に与える影響度は自然と変わってくることになります。
- 感性的価値を表したコンテンツ − 写真・映像
作品の写真は情報として最も重要なコンテンツのひとつになります。そこでプロのカメラマンによる作家の感性的価値を意識した撮影によって、市場展開するのにふさわしい写真を作成します。また、文章よりも直感的に鑑賞者に訴えることのできるコンテンツとして映像を作成します。今日、強力な影響力をもっているSNSで発信していくのに最も適したコンテンツになります。
- 感性的価値を表したコンテンツ − ホームページ
ネット社会における住所のような存在であるホームページは、数ある情報空間の中で最も自身の情報を豊富かつ自由に掲載することができる非常に重要なコンテンツになります。ホームページには作成した情報コンテンツをすべて掲載するという情報集積場としての役割があります。
- 感性的価値を表したコンテンツ – その他
上の過程で作成したコンテンツを用いてポートフォリオやその他必要な資料を作成することができます。
情報の発信
- 顧客(情報発信の相手方)の設定
当該作品のジャンルや感性的価値の大小、価格帯から顧客として想定される階層を分析していきます。
- リアル空間における情報発信
当該作家の作品にとって適切な市場を分析し、当該市場において想定される顧客層に対しダイレクトに情報を発散していきます。国内外の個展や展覧会の獲得や企画などがこれにあたります。
- ノンリアル空間における情報発信
ネット空間やSNSなど情報化社会における情報の集積場である非現実空間に対し情報発信を行います。効果的に行うことができれば、世界を市場に変換しうる情報発信です。アーンドメディア、オーンドメディア、ペイドメディアなどそれぞれのメディア形態に即した情報展開が求められます。
おわりに
私たちArt Base Projectが行っているプロモーションに共通している事項をまとめてみました。非常に長くなってしまいましたが、まだまだ伝え切れている部分は少ないので、これからも追い追いプロモーションについては発信していく予定です。少しでも私たちのプロモーションに興味を持たれた方がいらっしゃったらいつでも連絡して頂ければと思っています(^ ^)
最後まで長々とした投稿にお付き合い頂きありがとうございました。もっと短く書こうと思っていたのですが、なぜか長くなってしまう...